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ぱと隊長日誌

ブログ運用もエンジニアとしての生き方も模索中

自身の不安・妄想を受け流す技術

コミュニケーション 道標

だれしも不安・妄想にとらわれることがあります。例えば、私であれば「自分は話下手だ。相手を楽しませることができていない。」というのはよく感じます。同じかもっと深刻な不安・妄想にとらわれる方もいることでしょう。
なぜこんな不安・妄想にとらわれるのか、 この不安・妄想をどうしたら払しょくできるのか、ということに以前から関心がありました。

そんな中、『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」(中経出版)』を読んでいて、ストンと心に落ちる説明がありました。今回のエントリではその考え方をまとめます。

この本で他人の目が気になる心理の正体は「承認欲」であるとしています。ですが、それ自体は否定しておらず、当たり前のものとしています。
ではなぜ「他人の目を気にしてしまう」のか。それは「認められたい」欲求に反応して「どう見られているのだろう」と妄想する、”承認欲が作り出す妄想”であると。そして、その妄想から抜け出すためには「妄想に過ぎない」と自覚することがコツとしています。

そして、「妄想には際限がない」とも説明しています。

妄想は、どんなに最悪なものでも、簡単に思い浮かんでしまうものです。破廉恥だったり、残酷だったり、人には決して言えないようなイケナイ妄想でも、脳はたやすく作り出してしまいます。これは「夢」の世界も同じです。
そもそも脳は、見聞きしたすべての情報を”反応の記憶”として取り込んでいます。見たもの、聞いたもの、本人は気づいていないことさえ、実は脳は反応して、記憶として蓄積しているのです(中略)
しかもそれぞれの記憶が、複合して「見たことのない妄想」を作り出すこともあります。

また、別の章では「心は無常(うつろいゆくもの)である」としています。

心理学の一説には、心は1日に「7万個」もの概念を思い浮かべるのだそうです。「約1.2秒で1個の思い」です。心というのは、それくらい目まぐるしく回転しつづけているのです。

これについては自身も実感があります。寝る前に瞑想の時間を設けているのですが、呼吸に集中しようとしても、度々思考に邪魔をされます。むしろ、そういうときのほうが普段思いつかないようなアイディアが浮かんできたりします。心は考えることが好きなのかもしれません。

ですが、心が考え続けることと妄想が結びつくと、必ずしも良いことばかりとは限りません。楽しい妄想であればよいのですが、辛く苦しい妄想が始まってしまうと、考えようとする心を止めることは困難です。止めようとすることでより思考が集中し、さらに妄想が広がることになります。

自分にとってこの本が助けとなったのは、この妄想という反応が心の自然な作用である、と納得することができたことです。自然なことであれば、それを肯定も否定もせず、ただ妄想による心の動きを客観的に見ていよう、そう考えられるようになりました。

そうすると、「自分は話下手だ。相手を楽しませることができていない。」という悩みに対する自身の受け止め方も変わってきました。妄想を抑え込むことに心のエネルギーを割かずに済み、落ち着いて振り返ることができるようになりました。
「あなたは話下手ではない」と何人もの方が言ってくれたな。自分も心から楽しく話せているときがあるな。相手によって楽しいと思うポイントは様々だし、相性も様々だよな。そうやって、事実を見つめなおし、そこまで悲観することではない、と思い直せるようになったのです。

自分はまだ全ての(不安な)妄想をコントロールできているわけではありません。衝動的に発生した妄想が心の余裕を使い尽くし、そこに心がとらわれることはあります。もしかしたら、心の器をより広げることが必要なのかもしれません。そして、そこに至るには技術と経験と試行錯誤がより必要なのだと思います。今回、この本に出合ったことはそのステップだと思うのです。

この本ではブッダの考え方について著者が解釈したことをベースにまとめられています。私としては賛同できるところ、うーんなところ、共にありますが、一読することで今回のようにヒントが見つかるきっかけとなるかもしれません。