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記号論理学における論証(前提と結論)の妥当性

記号論理入門(金子 洋之・著)」は自然演繹による証明を学ぶための入門書としてお勧めできます。
ですが、いくつかわかりにくい点もあります。その一つが論証の妥当性についてです。このエントリでは本の解説の補足をしながら、論証の妥当性について説明を試みます。

なお、引用元を明記していない箇所は本からの引用となります。

記号論理入門 (哲学教科書シリーズ)

記号論理入門 (哲学教科書シリーズ)

この本では妥当な論証について以下の説明をしています。

前提のすべてが正しく主張できるときには、結論もまた正しく主張できる
序章より

また以下のようにも言い換えています。

この条件が語っているのは、「前提のすべてが正しく主張できる」ときには、必ず「結論も正しく主張できる」、あるいは「前提のすべてが正しく主張できる」ことを認めたならば、「結論も正しく主張できる」ことを認めざるを得ない
序章より

以下の例が妥当な論証であることは先述の説明から理解できます。
「ある学生は論理学を学ぶ。論理学を学ぶものは誰も生物学を履修できない。ゆえに、学生の中には生物学を履修できないものがいる。」

ですが、以下の例は妥当な論証であるか否かがわかりにくいです。
「日本の首都は東京である。神奈川県の県庁所在地は横浜である。ゆえに北海道で一番大きな都市は札幌である。」

これを前提と結論に分けてみます。

  • 前提
    • 日本の首都は東京である。
    • 神奈川県の県庁所在地は横浜である。
  • 結論
    • ゆえに北海道で一番大きな都市は札幌である。

いずれの前提も結論も正しいのだから、これは妥当な論証といえるのでしょうか?実はこの論証が妥当とは言えません。

本ではこの論証について、前提と結論の間には何のつながりもないから「前提のすべてが正しく主張できるときには、結論もまた正しく主張できる」の条件を満たしているとは言えない、と解説しています。

これは「厳密含意 (strict implication)」を指しています。つまり、前提が成り立つようないかなる可能世界においても、結論が成り立つのでなければならない、ということです。

例えば、ある可能世界で北海道の一番大きな都市が函館になったとしたらどうでしょうか。前提は真だが結論が偽になってしまいました。これでは「前提のすべてが正しく主張できるときには、結論もまた正しく主張できる」といえず、妥当な論証といえないことがわかります。

論証の妥当性についてはWikipediaの説明のほうが納得しやすいかもしれません。

妥当な論証は前提が真であれば結論も必ず真となるもので、妥当な論証で前提が真で結論が偽となることはあり得ない。

論証 - Wikipedia

先ほどの例において、前提が真であるときに結論も必ず真であるとは言えませんでした。よって、妥当な論証とは言えないと説明することができます。

ただ、厳密含意でも論証に違和感のあるケースはあり、これを解消する「関連含意」が提唱されています。関連合意では「演繹可能性 (deducibility)」の概念を採用し、結論を導いた前提が演繹の過程で実際に使用されなければならない、としています。

厳密含意と関連含意については以下の資料を参照ください。
https://researchmap.jp/?action=multidatabase_action_main_filedownload&download_flag=1&upload_id=109558&metadata_id=39541

自然演繹による証明は与えられた論証が妥当であることを示します。逆に論証が妥当でないことを示すには反例を見つけます。これについては本の第11章を参照ください。