ぱと隊長日誌

ブログ運用もエンジニアとしての生き方も模索中

知らないことを知り、知る過程の大切さ

知(し)らざるを知らずと為(な)す是(これ)知るなり
《「論語」為政から》知らない事は、知らないと自覚すること、これが本当の知るということである。

知らざるを知らずと為す是知るなり(シラザルヲシラズトナスコレシルナリ)とは - コトバンク

疑問・問題には解決・答えに至るまでの過程(プロセス)があります。そして、その過程は結論とともに残すべきです。

まず、「知らない」ということを知ったこと自体に価値があります。そして、それはきっと世界のどこかで誰かが悩んでいることでもあります。
それが解決、もしくは道半ばだとしても、文章や映像、言葉として残せば、知識と経験の共有となります。もしかしたら、さらに議論が発展するかもしれません。

知らない⇒知るに至った過程はとても大切です。
何がきっかけで知らないことを知ったのか。どうやって調べたのか。その過程でどんなことに躓き、解消したのか。結果何を得たのか。

知らないことに対して誰かが出した結論だけ知りたいと思うこともあるでしょう。
でも、その誰かが結論を出すに至った過程は自分が問題を理解するための過程でもあるのです。もしその過程を知らなければ、過程を自分で再発見するか、表面的な理解にとどまることになります。

そして、調べた本人もまた、過程の記憶は時間とともに薄れていきます。だからこそ、その過程を記録に残しておく価値があるのです。
その記録は別の課題を調べる際のヒントになるかもしれません。

繰り返しとなりますが、あなたが知らなかったことはきっと誰かが悩んでいる、もしくはこの先悩むことです。そして、結論だけでなくその過程を示すことはその疑問・問題だけでなく、他の疑問・問題に立ち向かうヒントとなるかもしれません。それは共有すべき価値ある情報です。
私にとってブログは共有のツールの一つですが、どんなやり方であってもいいと思います。

あなたのひと手間が、公開する勇気が、世界の誰かの助けとなります。

自身の不安・妄想を受け流す技術

だれしも不安・妄想にとらわれることがあります。例えば、私であれば「自分は話下手だ。相手を楽しませることができていない。」というのはよく感じます。同じかもっと深刻な不安・妄想にとらわれる方もいることでしょう。
なぜこんな不安・妄想にとらわれるのか、 この不安・妄想をどうしたら払しょくできるのか、ということに以前から関心がありました。

そんな中、『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」(中経出版)』を読んでいて、ストンと心に落ちる説明がありました。今回のエントリではその考え方をまとめます。

この本で他人の目が気になる心理の正体は「承認欲」であるとしています。ですが、それ自体は否定しておらず、当たり前のものとしています。
ではなぜ「他人の目を気にしてしまう」のか。それは「認められたい」欲求に反応して「どう見られているのだろう」と妄想する、”承認欲が作り出す妄想”であると。そして、その妄想から抜け出すためには「妄想に過ぎない」と自覚することがコツとしています。

そして、「妄想には際限がない」とも説明しています。

妄想は、どんなに最悪なものでも、簡単に思い浮かんでしまうものです。破廉恥だったり、残酷だったり、人には決して言えないようなイケナイ妄想でも、脳はたやすく作り出してしまいます。これは「夢」の世界も同じです。
そもそも脳は、見聞きしたすべての情報を”反応の記憶”として取り込んでいます。見たもの、聞いたもの、本人は気づいていないことさえ、実は脳は反応して、記憶として蓄積しているのです(中略)
しかもそれぞれの記憶が、複合して「見たことのない妄想」を作り出すこともあります。

また、別の章では「心は無常(うつろいゆくもの)である」としています。

心理学の一説には、心は1日に「7万個」もの概念を思い浮かべるのだそうです。「約1.2秒で1個の思い」です。心というのは、それくらい目まぐるしく回転しつづけているのです。

これについては自身も実感があります。寝る前に瞑想の時間を設けているのですが、呼吸に集中しようとしても、度々思考に邪魔をされます。むしろ、そういうときのほうが普段思いつかないようなアイディアが浮かんできたりします。心は考えることが好きなのかもしれません。

ですが、心が考え続けることと妄想が結びつくと、必ずしも良いことばかりとは限りません。楽しい妄想であればよいのですが、辛く苦しい妄想が始まってしまうと、考えようとする心を止めることは困難です。止めようとすることでより思考が集中し、さらに妄想が広がることになります。

自分にとってこの本が助けとなったのは、この妄想という反応が心の自然な作用である、と納得することができたことです。自然なことであれば、それを肯定も否定もせず、ただ妄想による心の動きを客観的に見ていよう、そう考えられるようになりました。

そうすると、「自分は話下手だ。相手を楽しませることができていない。」という悩みに対する自身の受け止め方も変わってきました。妄想を抑え込むことに心のエネルギーを割かずに済み、落ち着いて振り返ることができるようになりました。
「あなたは話下手ではない」と何人もの方が言ってくれたな。自分も心から楽しく話せているときがあるな。相手によって楽しいと思うポイントは様々だし、相性も様々だよな。そうやって、事実を見つめなおし、そこまで悲観することではない、と思い直せるようになったのです。

自分はまだ全ての(不安な)妄想をコントロールできているわけではありません。衝動的に発生した妄想が心の余裕を使い尽くし、そこに心がとらわれることはあります。もしかしたら、心の器をより広げることが必要なのかもしれません。そして、そこに至るには技術と経験と試行錯誤がより必要なのだと思います。今回、この本に出合ったことはそのステップだと思うのです。

この本ではブッダの考え方について著者が解釈したことをベースにまとめられています。私としては賛同できるところ、うーんなところ、共にありますが、一読することで今回のようにヒントが見つかるきっかけとなるかもしれません。

組織(チーム)とマネジメントとリーダーシップ

はじめに

自分がPM(プロジェクト・マネージャ)やPL(プロジェクト・リーダ)と呼ばれるポジションにアサインされるようになり、組織(チーム)とマネジメント及びリーダーシップについて考えるようになりました。私の現時点での考えをここにまとめます。

マネジメントとリーダーシップとは

まず、「7つの習慣」から引用します。

マネジメントはボトムライン(最終的な結果)にフォーカスし、目標を達成するための手段を考える。それに対してリーダーシップはトップライン(目標)にフォーカスし、何を達成したいかを考える。ピーター・ドラッカーとウォーレン・ベニスの言葉を借りるなら、「マネジメントは正しく行うことであり、リーダーシップは正しいことを行う」となる。成功の梯子を効率的にうまく登れるようにするのがマネジメントであり、梯子が正しい壁に掛かっているかどうかを判断するのがリーダーシップである。
出典:完訳 7つの習慣 人格主義の回復

ここで言えることは、役職としての「マネージャー」「リーダー」と役割としての「マネジメント」「リーダーシップ」は異なるということです。
開発プロジェクトであればプロジェクト・マネージャ(PM)/プロジェクト・リーダ(PL)という役職を設けることがしばしばあります。そして、PMがプロジェクト全体のマネジメント、PLが機能(開発・テスト、時にはサブシステム)をリードするという分担を行ったりします。
これは一見すると「マネジメント」と「リーダーシップ」が分離されているように見えます。ですが、実際には役職を問わず(PM/PL、もしくはメンバーであっても)、この2つの役割を切り替えながら仕事を進めているはずです。
例えば、PMはQCD(Quality, Cost, Delivery)の目標を設定します(リーダーシップ)。そして、その目標を達成するためにプロジェクト・マネジメントの手法を駆使します(マネジメント)。時に目標設定が達成困難と判明し、目標を再設定します(リーダーシップ)。そして、新たな目標に向かってプロジェクトの立て直しを図ります(マネジメント)。このように、PMは「マネジメント」と「リーダーシップ」という役割を切り替えながらプロジェクトを前へ進めていきます。

ケネディスクールのロナルド・ハイフェッツ教授は「NHK リーダーシップ白熱教室」でリーダーシップを「問題に立ち向かい、大勢を動かす手腕」としました。
書籍「アート・オブ・プロジェクトマネジメント」では「Ⅲ部 マネジメント」に「12章 リーダーシップが信頼に基づく理由」が含まれています。
これらからは一見、リーダーシップにマネジメントが含まれている、もしくはその逆のようにも取れます。ですが、その講義及び本の内容から考えると、リーダーシップとマネジメントは分けて考えるべきだが、その実践では切り離すことができないものとして扱っているように思います。

組織への適用

前節で「マネジメント」「リーダーシップ」は役職に属するものではないとしました。そしてこれらはすべての個人が持つべきものです。組織においても全員に要求されます。

例えば、組織のトップが利益目標を掲げたとします。
各部門のトップは割り当てられた目標額を達成するための方策を練り、部長に対して指示を出します。部長はより具体的な行動に落とし込み、課長に指示を出します…これが組織階層の全てのレイヤーで行われます。
この時、組織階層で一番下にいるメンバーは指示を出す相手がいません。ですが、自分自身に対しての目標を持ちます。これはセルフ・リーダーシップとなります。

こうして立てた目標ですが、やみくもに取り組んでも達成することはできません。目標の達成にはマネジメントが必要となります。
それは組織マネジメント、チーム・マネジメント、セルフ・マネジメントと呼ばれ、組織階層の各レイヤーで実践することになります。

組織において各自がなすべきこと

組織という枠組みの中でリーダーシップとマネジメントを発揮するために大切なことは、自分のポジションで期待されているのは何かを理解することです。たとえ、組織階層では一番下であったとしても、マネジメントもリーダーシップも要求されることを忘れてはいけません。

そして、リーダーシップにおいては自分自身を信じることです。「アート・オブ・プロジェクトマネジメント」ではそれを「自恃」という言葉で説明しています。

自恃の精神を持つ人は、自らに対して自信を持ち続けながら、他の人からの影響を受け入れ、将来についての自らのビジョンを定義することに役立てるとともに、ポジティブな変化すべてを受け入れることができるわけです。そして、自らのアイデンティティを否定することなく、過ちを犯し、それを認め、自らの意見を変えることができるのです。
出典:アート・オブ・プロジェクトマネジメント

おわりに

冒頭でも書いたように、このエントリは自身の今の考えをまとめたものです。このテーマは今後も知識や経験をもとに再考し、周囲と議論し、より発展させていきたいと考えています。いつかまた、その内容をもとに新しいエントリという形でまとめることができればと願っています。

参考

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

  • 作者: スティーブン・R・コヴィー,フランクリン・コヴィー・ジャパン
  • 出版社/メーカー: キングベアー出版
  • 発売日: 2013/08/30
  • メディア: ハードカバー
  • この商品を含むブログ (9件) を見る

アート・オブ・プロジェクトマネジメント ―マイクロソフトで培われた実践手法 (THEORY/IN/PRACTICE)

アート・オブ・プロジェクトマネジメント ―マイクロソフトで培われた実践手法 (THEORY/IN/PRACTICE)

NHKリーダーシップ白熱教室第6回(世界が君を待っている)まとめ - ぱと隊長日誌
NHK リーダーシップ白熱教室の第6回のまとめと第1~5回のまとめへのリンク集。